近江飛龍劇団/三吉演芸場 6月18日(夜)

2011年 6月 20日 月曜日

大衆演劇を知ったと同時くらいから興味を持っていたのに、なかなか見る機会のなかった近江飛龍。多少は予備知識があったのでいろんな意味で「なるほど」と思うことがあった。お芝居は「旅の風来坊」。飛龍さんが三枚目の三下で、近江春之介が二枚目の旅人さんだった。飛龍さんのめちゃめちゃアクションの大きい三枚目っぷりは、ネタも化粧も「汚い」域まで足を突っ込んでたけどそーとー笑った。

ただでも膝のサポーターにしても酸素吸入器にしても、あんまりリアルにしんどそうなんでちょっと痛々しい気もしてしまった。いや、その痛々しさがまたブラックジョークみたいなことになってたけど、洒落になるかならんかギリギリじゃないかなぁ。体力勝負のとこはそれはそれで(痛々しさも込みで)すげー面白かったけど、上手いツッコミ役との掛け合いの面白さもあったらよかった。私がここの劇団のノリに慣れてないから、そう感じるだけかもしれんけど。あ、バナナごはんはちょっと試してみたくなった。

で、舞踊ショーのお写真。二列目センターブロックだったんでほとんど90mm。このレンズで撮るのが好きなんだけど、こう、並べてみると同じような画ばっかでつまんないかもなぁ。ま、自分が気に入ってるからいいんだけど。

ミニショーの飛龍さんは「瞼の母」。最前列のお客さんをおっかさんにしてた。しかもそれを芝居までひっぱってて面白かった。舞踊ショーの女形はしっとり姐さん系。そういや飛龍さんは身体つきに比べたら手が華奢かも。
  

若くて可愛い近江大和。私の好きなアクティブな踊りだった。
  

歌のコーナーは「LOVE ~抱きしめたい~」。ジュリーだ!ジュリーだ!
  

副座長、近江春之介。雑誌やネットからなんとなくイメージしてたよりもクールな人に見えた。
 

座長、立役。かっちぇーね。
 

ラストショー「Ti Amo」。
  

 

ラストショーはさすがに18-200mmの広角側で。最後の紙吹雪がぶわーっ!とするとこがすげー良かった。ああいうの大好き。後ろに薄くて透ける布を垂らしてるのとかも照明の雰囲気が変わって上手いと思った。

Twitter Weekly Updates 2011-6(2)

2011年 6月 19日 日曜日

ご飯食べてテレビ見てるだけ。いや、それ以外は働いてますけどね。

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Twitter Weekly Updates 2011-6(1)

2011年 6月 7日 火曜日

いろいろいろいろ考えてはみたものの、蓋を開けたら予定のない日が1日しかない6月となった。第一週目の山場は週末の北鎌倉。今回もいっぱいいっぱい。これが余裕でこなせるようになったらいいんだけどもねぇ。千束のほうもなんだか妙に忙しいし、次は春日部が控えてるし、さすがにアルコールの摂取も控えめ。

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Twitter Weekly Updates 2011-5(4)

2011年 6月 4日 土曜日

五月終了。なんやかや忙しい。平日残業続きなのがちょっとしんどい。しかしその千束のバイトがとうとう丸一年超えてしまった。まさかここまで続くとは。待遇はぜんぜん良くはならんのだが、だいぶ気楽にできるようになったのは幸い。今ならもーちょっといいとこにいけるんじゃないかとか、独り身で営業したほうがいいんじゃないかとか考えないでもないけど、まだまだ課題は多いので、少なくとも今年いっぱいは頑張ってみるつもり。

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『Burn The Passion』感想 その1

2011年 5月 27日 金曜日

一心寺シアター倶楽で行われたOSKのレビュー『Burn The Passion』を見てきた。この、お寺に併設された劇場は数年前に花吹雪の特別公演を見に行ったことがあるけれど、OSKでは初めて。椅子の座り心地はいまひとつだけど、段差が急だし千鳥配置なので舞台が見やすい。200席程度のキャパも私にはちょうどいい。「レビュー」をやるには手狭で出演者や振付は大変だろうが、見ている分にはさして気にはならなかった。

ここしばらくOSKは松竹座とか南座とか、わりと大きめの劇場の後ろのほうでしか見ていなかったので、これくらいの「まるで世界館みたい」な規模の公演を見るのは久しぶりのことだった。私が見た5/21、22はどの公演もほぼ満席(22日の夜公演は大阪の最終公演でもあり、チケットはずいぶん早い段階で完売していた)だったが、私はわりと運が良かったのか初回は1列目、2回目が10列目のどセンター、翌日の3回目4回目は下手側の10列前後。OSKの公演を1列目で見るなんて本当にいつ以来だろう。

大貴さんが退団してから現役では特別に誰のファンということはなく、しかも「演劇でもレビューでも、劇場の最後列席から見て面白いと思えなければ失敗作」という個人的な基準にこだわりがあるので、前方席にはまったく興味がない。今回はたまたま手に入った席だけど、しかし見れば見たでやっぱり前方席っていいもんだなぁ思った。というか、今回の公演を私は大絶賛しているけれど、その理由の大半はこの席のおかげじゃないだろうか。特に初回に1列目で見たインパクトは大きかった。

舞台を見ていて面白い/面白くないと感じる理由をものすごく大雑把にまとめると、退屈するかしないかってことになると思う。出演者でも音楽でも衣装でも舞台装置でも振付でもなんでもいいから、舞台に興味が惹きつけられている時間が長ければ長いほど「面白い」ってこと。だから極端な話、「内容はぜんぜん好きじゃないけど、舞台からとにかく目が離せなかった」っていうのも「面白かった」っていうことになったりする。

舞台に近ければそれだけ表情もわかるし、ダンスの細かい動きが見える。衣装や髪型とかお化粧の仕方なんかも興味深い。後方席は後方席で舞台全体の構成や群舞の流れなど、見所はたくさんあるのだけど(だから私は松竹座の3階席とかが好きなんだけど)、最近のOSKだとものすごーく群舞が揃ってるってわけじゃないような気がして、ちょっと後方席の魅力が落ちかけていたから、なおさら近くで見るのが新鮮で楽しかったんだと思う。

『Burn The Passion』をすごく気に入ったもうひとつの大きな理由は、座組の良さ。良さって言ったら語弊があるか。個人的な好み、ですよ。それは「好きな劇団員が出ている」というのとは似ているようでいて違う。そういう意味で言ったら、私が今OSKではっきり「この人を見たい」と思うのは緋波亜紀と柑奈めい(でもこの二人にしたって出演しているなら絶対に観に行くってほどではない)。で、この公演のメンバーというのは半分くらいが「出てたら嬉しい人」であと半分は「特に意識して見たことない人&名前も顔もまだ覚えてない人」。

そんなだから出演者に関してはそれほど期待していたわけでもないんだけど、実際に見てみたら思っていたよりぜんぜん良かった。それはたぶん「この人が良かった」という以上に「この人の使われ方が良かった」っていうことだったんだと思う。私は今はOSKに贔屓というような人はいないけれど、それでも劇団員全員を均等に見ているかと言ったらそんなわけはなくて、やっぱり気持ちにムラがある。そうなるとどうしても舞台を見ていて「どうしてこの人がここで出てきて、この人の出番がこうなるのだ?」とか、いろいろ余計な考えが浮かんでしまう。

いや、たいがい理屈では「まぁ、立場的にしょうがないようなぁ」と理解はできるのだけど、つい口がとんがってしまうのは仕方がない。でもって口ととんがらしつつも、「あんなの変だよ!」と公言できないのがけっこうストレスなんだな。うかつにそんなことを言ったら、私と好みの違う、それを変だと思わない人は気を悪くするだろう。好みの違う人にも気を悪くされないような言い方だってあるんだろうけど、そんなところで頭をつかうのもめんどくさい。どんなに気をつけて書いたって、駄目なときは駄目だし。そもそも「良し悪し」の問題ならともかく「好み」の話となったらどーしょーもない。

言い訳しながら言葉を捻り回してなんとか不満を表明したはいいけど、誰かを不快にさせるんじゃないかとびくびくし続けるよりは、不満があっても口にしないストレスのがよっぽどマシ。それに仮にも応援している劇団の不満を書くことにエネルギーを使うのもどうかってことで、そこいらへんに関してはほぼ黙殺してたわけだが、しかし今回の公演でその手のストレスがなかったっていうのはすごく気が楽だった。

本当に誰も彼も過不足なく使われていると思えるのがすげー爽やか。あ、いや、舞美りらだけはさすがに抜擢にもほどがあるだろ!と思ったけど、しかしあそこまでいくともはや抜擢っつーより特訓って感じで、うっかり同情せざるをえないような有様だったから、あれはあれで面白かった。

私としては「なぜここに柑奈がいない!!」という気持ちがあるんだけど、もしも柑奈が出ていてもしも舞美りらよりも見せ場が少なかったらストレスになるのは間違いない。だからと言って柑奈のほうが見せ場が多かったとしてもそれで娘役の並びの見た目のバランスが崩れてしまう可能性も、いや、柑奈はめちゃめちゃダンスが上手くて可愛いけど、可能性としてはなくはなくて、それはやっぱり私としてはちょっといたたまれない気持になっちゃうわけで……というようなことで、私にとって今回の出演者の構成は完璧なのだった。

この公演はもともと21日の2回だけ見るつもりだったのだけど、あんまり面白かったんで、一泊して翌日も見ることに決めた。それくらい気に入った理由の60%は席と座組に満足したこと。あと30%は瀬乃ちゃんと里都ちゃんにすごーく好きな場面があったこと。んで5%が作品が悪くはなかったこと。5%はなんかノリ。「作品が悪くはなかった」っていうのは、わりとテンポよくさくさく場面が展開していたから。「パリメドレー」が出てきたときは、いくらなんでも手を抜きすぎだろ!と思ってキレかけたけど、どういうわけか異様なまでにシャキシャキしてて、逆にめちゃめちゃ私好みだった。あんなおフランスっぽくないパリメドレーも珍しい。

レビュー『Burn The Passion』 大阪公演
作・演出 吉峯暁子
一心寺シアター倶楽

【出演者】高世 麻央・桐生 麻耶・牧名 ことり・真麻 里都・恋羽 みう・楊 琳
瀬乃 明日華・愛瀬 光・舞美りら・妃那マリカ・鈴峯 ゆい・城月 れい
遥花ここ・麗羅リコ・由萌ななほ

Twitter Weekly Updates 2011-5(3)

2011年 5月 23日 月曜日

真面目に働いて週末は一心寺にOSKを見に行った。1日だけのつもりが、思ってたより楽しかったもんで翌日も見てきた。なんだかんだ言ってやっぱOSKはいまだにふつーにファンだわなぁ。1日で帰ってかわりにDVD予約するんでも良かったんだと思うけど、まぁ、いっか。

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給食の時間

2011年 5月 19日 木曜日

年をとってこんな生活をしているせいだと思うが、ときどき昔のことを文字にしてみたくなる。中学校の頃、私はクラスで男子にも女子にもなんとなく嫌われていた。同じ立場の女子は私の他にも二人いて、そのうちのひとり、Aとは趣味があったので仲が良かった。けれどもうひとりのBのことは大っきらいで、顔を見るのも声を聞くのも嫌だった。

そのクラスでは(他のクラスがどうだったか、そういえば忘れた)給食のときに誰かと机をくっつけて「三人以上で」一緒に食べる決まりだった。私とAとBが一緒になるのがごくあたり前の流れだったけれど、私もAもBと食べるのが嫌だったので、なんとか他のグループに混ぜてもらおうとしていた。男子は問題外だけど、女子のそれも「いい子」とみなされるような人たちに、面と向かって「入れて」と頼めばたいがい断られることはない。その人達は仲間はずれのような卑怯なことをしない。けれどそれが嫌々なのは明白なので、こっちとしては気がひけることこのうえない。Bと食べるのも、他のグループに入れてもらうのもどっちも嫌でしかたなかったけれど、しいて言えば後者のほうがまだマシだと思っていた。

ただし、タイミングが悪かったりなんだり、ときどきは断られることもあった。断ると言ってももちろんあからさまな言葉を使うわけではないから、もっと強くあるいは上手く頼めば良かったのかもしれないし、そもそも机を移動するタイミングになったらさっさと声をかけてグループに入れてもらってしまえばいいのだが、そういうことができる性格だったら、おそらくはなからこんな状況に陥ってはいない。

その日も他のグループにご厄介になりそこね、どうやらBと食事をしなくてはならなくなりそうだった。「嫌だけどしょうがない」という気持ちを表情と態度に丸出しにしていたら、担任教師に「そこは何をやってるの?」と見咎められた。やけになったAが「Bちゃん!一緒に食べようねぇぇぇぇっ!」と実にわざとらしい口調でBを呼んだ。その瞬間、担任の顔つきがさっと変わって、「(私)とA!後でひとりづつ職員室に来なさい!」とキツイ声で告げられた。

いやぁ、怒られた怒られた。私は子供の頃から涙腺が弱いので泣きっぱなし。というか、怒ってる先生のほうまで涙を浮かべていた。よっぽど自分の生徒の中にクラスメイトをいじめるような人間がいるのが辛かったのだろう。「あなたたち三人はいじめられている同士だから仲良くできると思った」「そのためにわざと給食は三人で、というルールを作った」「どうして自分がされて嫌なことを人にするの?」などと言われたことを覚えている。人に嫌われてる人間には人を嫌う自由がないんですか?私やAを拒否したあの人達は友達がいるから、それ以外の人を嫌っても許されるんですか?とか、今なら思いつくけど、当時はただただ情けなく悔しいばかりで言い返す言葉は出てこなかった。

どうやらクラス編成が決まった時点で、先生は「この三人はいじめられっ子だからなんとかしなきゃ」と思ってたらしく、それもかなりショックだった。そう言われるまで、私は自分のことを「いじめられてる」とは思ってなかったから。男子に酷いことをされたり言われたりするのも、女子に話しかけると引かれるのも、「まぁ、自分なんてそんなもんなんだろう」って感じだった。

不細工だし運動できないから体育の授業で人に迷惑をかけるし、どうやら生意気で根暗らしいし、クラスの「グループ」に入れなくてもしょうがない(小学校の頃から給食、遠足や授業中のグループ分けであぶれるのはデフォルトだった)。だけど、同じクラスにも他のクラスにも仲の良い友達が(何人かは)いて、休み時間も放課後も楽しく過ごしていたし、本でも音楽でも漫画でも夢中になるものはいっぱいあったし、学校に行きたくないと思ったことはないとまで言ったら嘘だけど、私は自分の生活にそこそこ満足していた。けれど、他人から見たらごはんを一緒に食べる相手を強制しなきゃいけないくらい酷い状態だったってことなのか。

ずっと泣いていたおかげで、なんやかや言い訳をしたらしいAに比べたら早く開放されたけど、反省なんかしてるわけがない。それどころか30年もたってるのにいまだにこんなぐだぐだ書いてしまうくらい根に持っている始末だ。Bには何の罪もないことは昔も今もわかっちゃいるけど、やっぱり大っきらいだし気持ち悪い。そして今でも私は同類であれ仲間であれ無関係に人を嫌う。昔も今もあまりそういうことを人に知られないようにしているけれど、ついうっかり言葉や態度に出してしまって第三者に非難されることが何度もある。そのたびに自分の不注意は悔やむけれど、人を嫌う権利は人を好きになる権利と同じくらい大事という考えに変わりはない。たぶんこの先もずっとこんな調子なんだろうし、人を嫌うのは人を好きになるのと同じくらい覚悟が必要だということを、私は忘れたらいけない。

Twitter Weekly Updates 2011-5(2)

2011年 5月 17日 火曜日

毎晩こつこつ呑んだくれ。「ごはん=アルコール」。いちおー炭水化物は食べないとか、野菜をいっぱいとか考えてはいたんだけど、ぜんぜん意味なかったっぽい。あと帰宅してごはん作ってそのまま飲み始めちゃうとホンットになんにもできなくて、そりゃ仕事さえあればいいとは言っても、部屋の中も身体的にもあまりと言えばあまりな状態になってしまって、さすがに反省しなくちゃいけないかもしれないと思い始めたりしないでもない(しろよっ!)。

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美人とは何か?―美意識過剰スパイラル/中村うさぎ

2011年 5月 17日 火曜日

図書館で借りた。中村うさぎを読もうとするのはたいがい気分が重いときだ。読んで気分が軽くなるわけじゃないけど、考えてもどうしょうもないことから意識を切り替えるのにいい。気がふさいでるときはなんにもしたくなくてテレビもパソコンも見たくないし、たいがいの本も読みたくないけど、なぜか中村うさぎは大丈夫。

で、これを借りて読んだのは2月くらいだったかな。その時なんで憂鬱だったのかはもう忘れた。というか、ここしばらく私が「鬱」なときは疲れてるかバイオリズム的なことかどっちかだから、別にこれといった理由はなくて、そのときの気分と、この本の内容は特に関係ない(だけど「ブス/美人」問題は常に常に頭にある問題だし、ものすごーく根本的には私が生きているのに疲れたり幸福ではないような気分になるのは、私が美人に生まなかったのが理由なので関係がないわけじゃないと言うこともできる)。

『美人とは何か?』というタイトルだけれど、内容は「どうしたらブスが幸せになれるか」だ。客観的な美醜に関わらず「自分はブスだ」という自意識をもってしまった女性が、どうやったらそれを捨てることができるか?というような話なんだけど、この本のなかでは、「そんなの無理」ってことになってしまってる。

女性の場合は(男性と違って)、頭がよくても、お金持ちになっても、名誉ある地位についても、結局は「でもブスじゃんw」の一言で台なしになってしまう。そこにいたるまでどんなに努力しても、逆に努力の必要がないほどの才能があってもそんなことは関係ない。顔立ちはともかく、気立てがよくて人に好かれていれば周囲の人は「ブス」という言葉を胸のうちに収めておいてくれるというのが、かろうじて救いの道。他人に「ブス」と言われないために必要なのは「客観性」と「バランス感覚」。重要なのはブス/美人問題が本当の容姿には関係なくて、あくまで自意識の領域だということ。

……というようなことをぐるぐるぐるぐる考えてる本で(タイトルに偽りなし、だ)、そりゃもう、いちいちいちいち頷いてしまう。頷いてしまうが、しかし、それは裏返すと「そんなことは分かってるんだけどねっ!」ってことでもある。

本文の最後にはこんな言葉がある。

「人生の黄昏時に、一番大切だと思える相手がいること」「そういう相手がちゃんといたら、あなたは必ず幸せになれる。そして、そういう相手を獲得するのに、美醜なんて関係ないのよ。」「他人を愛する能力が未熟だからこそ、歪んだ自己愛に振り回されて、我々はブスを攻撃したり美人を羨んだり自己嫌悪に陥ったりという自意識地獄から這い上がれないのだ」

いや、さ。そんな道徳の教科書のことをいまさら言われても。というツッコミすら虚しいわ。この直前に、彼女にとっては夫がその大切な相手で、そういう人がそばにいて、仕事も楽しくて、自分はちゃんと幸せなんだ、と書かれているけど、この本が出版されたあとも、今現在にいたるまで、中村うさぎはちっとも幸せそうに見えない。見えないだけで本当は幸せなのかもしれないし、幸せに見えないのが芸風なのかもしれないけど、しかし説得力はないよなぁ。しかもこういう結論をだした後に、続く対談と鼎談でまたぐるぐるしちゃってるわけだし。

そんなんで同意しつつも苦笑する本だったけれど、読み終わって新しく気づいたことがふたつある。ひとつは、女性にとって美醜をも超える最上級の価値って「子供を産んで育てる」ってことだな、と。中村うさぎがぐるぐるぐるぐる本を一冊書いてしまうような問題は、結婚すれば6割、子供を産んで成人するまで育てることができれば8~9割解決する。んで、残りは老後の面倒を子供に見てもらうとか、孫の顔を見るとかいうあたり。完璧主義者はそれら全部を求めるし(で、満たされなければ「不幸」)、たいがいの人は7~8割で満足する。あ、「結婚すれば6割」っていうのは、あくまで「子供を産む条件が整った」という意味なので、結婚しても何かの理由で子供がいなければ、「お気の毒」あるいは「半人前」だ。

女性はどんな成功を手に入れても「だってブスじゃん」という言葉で貶められる。だけどその「ブス」という揶揄や嘲笑も、「子供を産んで育てた女性」には勝てない。

それが良いか悪いかはとりあえずどうでもいい。ただ、あらためて「母親」が女性にとって最高のカードだと認識しただけ。でもってそのカードを切った人が、その優位性を保つためには、自分も他人もそれが「最高だと信じ続ける」ことが必要だ。別にそれは女性だからどうこうって話じゃなくて、男女限らず人間って既得権を手放すことはできないよねぇ、って話なのだろう。

あと、この本では美醜の問題が女性特有のものだというふうに話が進んでいるけれど、男性だって「キモい」という言葉で同じような自意識地獄があるよな、ってこと。まぁ、これはわりと最近の傾向だけど、もっと前からあるのは生殖能力強弱問題で(罵倒語としての「オカマ」「ホモ」という言葉は、実際のセクシャリティとは無関係に使われている)、男の子は男の子で大変なんだよなぁ思ったのだ。

ブス自意識から逃れられても、母親カードを手に入れても、男性が生殖能力の強さに自信を持ってても、それらすべての幻想から自由になったとしても、それでもたぶんほとんどの人は「自分の信じている価値のある何か」を手放すことはできないし、それを持っていなければ(他に何を持っていても)自動的に「不幸」になる。

となると、やっぱり「宗教」というのは古今東西を問わず上手いことを言ってるというか、さすがによくできたシステムというか、面白いもんだなぁという気がしてきた。でもって宗教ほど分かりやすくないけど、逆に「分かりやすいものは嫌い」な人に向いてるのが「哲学」とかなのかな、とか。

……って、こんなにいろいろ書くつもりはぜんぜんなくて、単なる記録のつもりだったんだけど、やっぱり私もこの問題に関していまだにぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるしてるってことだわな。

4286008851美人とは何か?―美意識過剰スパイラル
中村 うさぎ
文芸社 2005-12

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『アンタッチャブル』感想

2011年 5月 15日 日曜日

松平健主演の舞台『アンタッチャブル』を見てきた。2011年5月14日(土)12時公演。ヒロインがダブルキャストで、東京で櫻子ちゃんが見られるのはこの回だけ。劇場の予約でチケットを取って、14列のセンターブロック。舞台全体は見やすいけれど、わりと遠目なので櫻子ちゃんの顔が分からなかったらどうしようと少し心配していた。けど、やっぱりヒロインならではの扱いだし、舞台上の誰よりもよく知っている人だから見間違うことはなくて、まったく杞憂であった。以下、ネタバレ含めていろいろ。

ラブ・コメディー『アンタッチャブル』
作・演出 斎藤栄作
シアター1010

【ストーリー】1930年、「禁酒法」はシカゴをギャングの街に変えた。10億ドルの密売酒市場のあがりをめぐる血の抗争。それはマフィアの時代、アル・カポネの時代。治外法権化したこの街へ、財務省の捜査官エリオット・ネスがやって来る。その頃アル・カポネは、弟ディノの店「コットンクラブ」のマリアに一目惚れ。つい「ガードマンの面接に来たジミー・マローンだ」と正体を偽ってしまい、周囲の人間を巻き込んでカポネの二重生活が始まる。さらに、なんとマリアはネスの妹だった!カポネは愛するマリアのために、ジミーとしてネスに捜査協力を約束する。ネスの狙いがカポネ本人だとも知らずに……。
『アンタッチャブル』公演オフィシャルサイト 2011 より)

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